2014年3月13日木曜日

1月~3月上旬まとめ - 四面楚歌

年明けからここまでは巡り巡る日々で記憶が定かではない為、詳細を省いてブログに経過を残す。
他にも病院通いや治療等もあるが、対膵臓癌ではなく後続者の参考にならないので端折る。

現在の体の状態

術後から片肺しか動いていないようで常に息苦しく、手術前の陸で溺れる魚の状態に再突入した。
マスクをしているだけで呼吸が苦しくてもがきそうになる時もあったが、どこかのタイミングで諦めがつき、肺活量を上げる努力をした結果、娘を抱いたまま早足で1㎞程度の散歩ができるようになったが、睡眠時や横になっている時に突発的に呼吸ができなくなる事が増えてきた。
レスキューに手を出していた時の痛みレベルはとうの昔に通り越してしまい、呼吸ができない状態や、脊髄の神経網及び膵臓部分を圧迫する苦しさ以外は黙って耐えられるようになった。
痛みについては、オキシコンチンを気休め程度に飲む事はあるものの助けにならない。
パッチは入院時に試してみたが全く無意味だったので、背中から直接フェンタニルを入れる事を考慮しても良い状態だが、これも呼吸と同じく諦めの姿勢を自分に見せて耐え続けた結果、慢性的に痛みはあるものの、今の所は余程の痛みではない限り動けなくなる事は回避できている。
肝臓に明らかなる転移は見つかっていないようだが、膵胆肝に関する数値は悪化を始め、CAR・AL-P・CRPの上昇と食後の詰まり感等から、ステント留置を検討したが良いのでは?、と助言をされた。
膵体尾部切除術を行った後に体験をした低血糖症状は改善される事がなく、メントスや甘い物を持ち歩き、体が重たくなり眠気を感じ始めると糖分を補給してリカバリーしている。
胃腸の状態は術後よりは少しマシになった程度だ。
水溶便→下痢への変化はあったが、それ以降は殆ど改善されておらず、食事内容が便にすぐに反映されて流れ出ていく為、便を見て体の状態を予測する事ができない。
一年程で元の状態に戻るだろう、と言われたのに。嘘つき(TдT)
荒治療が功を成して腫瘍マーカーは基準値に近付いたが、代償で白血球が基準値以下に下がってしまい、これに対する治療を行い、白血球が62(62000(基準4-9))前後から基準値付近に近付く乱高下の状態となった。
滅多に出た事が無い鼻血が出て何時間も止まらなかったり、慢性的なふらつきと目眩が更に酷くなったり、短時間に何度も突発的な発熱を繰り返したり、気付くとヨダレを垂らしていたり、おかしいと思っていると上記の状態だった。
急性骨髄性白血病か癌転移の疑いを告げられ入院を勧められたが、入院してしまうとこのまま終わってしまうと思い、様子見をさせてください、と告げて帰宅して1週間を耐えて基準値付近に戻した。
しかし、赤血球関連とFEと血小板は常に基準値以下で、このままでは輸血に頼る生活を選択しなくてはならず、今迄のように積極的な化学療法ができない体になった事と、自分の体が壊れてしまった事をを痛感させられた。
膵臓の裏にある神経網とリンパ節にある招かざる客が大宴会をして、そのまま隣の部屋に雪崩れ込むような歓迎しない状態に陥っている可能性が高い。
羅列したが、一日に数回起きる突発的な発熱が一番辛い。
3分程の間に40度近くまで上昇をして一気に体温が下がり全身汗まみれになる状態が1ヶ月ほど継続している。
体力の消耗が凄まじい。
2014年03月12日、会社で下血した。

服用中の薬と検討中のサプリメント関連

現在の常用薬は、アヘンチンキ・アコファイド・カナマイシン・コレバイン・ロペミン・リパクレオン・アリナミンF・フェロミア。
前回のブログ更新から色々な添加剤を服用したが、常用薬とはならなかった為、今回は省略する。
漢方は飲みにくいので勝手に休止、これまで漢方を飲んで感じた事は、体を温めて血流を改善する程度かな、というものだ。
前向きに検討しているサプリメントは、下痢を改善する為に、キチンキトサンとタウリン。
検討理由は蟹を食べた翌日は消化及び吸収促進を体感し、下痢がかなり緩和され便が若干硬化する事が多々あり、服用中の薬と相乗効果で吸収率が高まると思った為。
漢方が得意な某著名医師に話すと、蟹の甲羅を揚げて食べてるか、似たようなものだとゴキブリの漢方があると言われた(´д`)
キチン・キトサンは調べると面白いので、消化器系統不調者で下痢の症状を抱えて手詰まりの方の人柱レポートを求む。

食事と体重の変化
2人分は食べられるようになった。
できるだけたくさん食べるように努めているが、体重は下げ止まり程度だ。
体重は一時期40kg中盤になったものの、今は51kg~54kgの間で落ち着いている。
糖分と脂肪分の多い物を食べるように気をつけた賜物か、少しずつ脂肪が付きはじめた。
肉6割:炭水化物4割:野菜1割:魚1割位の分配で肉食男子真っ盛りだ。
ステーキ300g、白米2人分、サラダ1人分、サワー1杯、これ位は楽にこなせるぜ('A`)y-~
#普段は飲酒していない。

化学療法

1月から3月12日迄の化学療法は2回となった。
是正で2週間に1回のスパンの治療を続けていたが、体力が回復しないままに化学療法を受けて致命的なダメージを受けた。
これまでは投与後約1週間で娘の相手が出来る程度に回復をしていたが、2週間経っても嘔吐、目眩、化学療法による焼けるような痛みで満足に日常生活を送る事ができなくなった。
最後の投与から約3週間で回復を感じ始め、4週間目で動き回れる程度になったものの、これではまともに生活を送れないと思い、1月末をもって化学療法を休止した。
また、これまで化学療法での脱毛は皆無に等しかったが、最終の化学療法2日目から髪の毛が抜け始めた。手櫛で髪が束で抜けてしまいシャンプーの止め時がわからず面倒に思い、翌日にはひいきにしている散髪屋に向かい、バリカンの2mmで刈ってもらった。
いつでも出兵できる坊主頭になって自宅に戻りポストを漁っていると、マンションの管理人から何か御用ですか?、と声をかけられた。
妻にはどうせならもっとお洒落に切ってもらえばよかったのに!!、と言われる始末だ。
高校入学時に坊主になり、それから髪を伸ばし続け、ジェルでオールバックのように固めてイワトビペンギンのような風貌だった自分とお別れになった。
鏡の前に立つ事は殆どない自分だが、最近は写真を撮られる事が増えたので自分を客観的に見る事が増えた。
面影はあるものの、痩せ細り本当に自分なのか?、と思う。
どこからどう見ても世間に浸透している癌患者のイメージそのもので、且つ私の場合は、山奥の田畑で若い女性の農作業をニヤつきながら覗き見をしている欲求不満の変態青年です。ありがとうございます。


7/29後付。
がん研で声掛けられまくりなので、顔を隠しても意味がないのか('A`)y-~


化学療法を受けている病院に行き、医師に一連を伝えてどうするべきかを話しあった。

化学療法、陽子線、IPS以外の既存の治療について懐疑的な私達が導きだした答えは、積極的な治療を諦める事、化学療法ができるまで体調と腫瘍マーカー値を良い状態でキープできる骨髄抑制が少ない治療を行う事。
今の投薬スパンをキープしたいのはやまやまだが。。。これ以上積極的な治療は。。。
後は自分で考えてサイクルを変化させる等の答えを出してくれるのであれば協力はする、というニュアンスの言葉を投げかけられた。
当面の間は体調の悪化と腫瘍マーカーの変化を読み、鳩尾や背中の痛み等の直感を判断基準として、今の状態をキープできる化学療法(現時点では(irinotecan+Abraxane+状況によりTrastuzumab(Herceptin他同系統薬))で対処する事になりそうだ。
せめてもの救いは、1ヶ月半近く化学療法を受けていないにも関わらず、腫瘍マーカーは減少を続けていた事だ。
過去形の理由:腫瘍マーカーを計測していない為。
私は腫瘍マーカーさえ基準値付近に近づけていれば、劇的な悪化が無い事を確信した。

客観的にみた私の振るべき道?
その後に外科・内科・緩和の3名の医師と看護チームと話す機会を設けられ、私にレールを敷こうとしてくれた。
有難い申し出だったが、私は最後まで自分で考えて体感をして自分が望む時にしかるべき処置をお願いしたい、と伝えた。

PET-CTの結果

誕生日に受けたPETCTの結果は、目立った転移は見つからなかった半面で、先日のCT結果を覆すような事も無かった。
現時点である治療方法ではどうにもならない部分の浸潤に頭を悩ませる日々が続く。
体調の悪化に拍車が掛かり始めた1月下旬から今日までCTを撮っておらず、3月末に予約しているCT結果を想像するだけで萎えてしまう。

この記事の締め

膵臓癌の疑いを告げられスタートした闘病生活も2年半が経過した。
間もなく術後1年、stage4aスタートから3年だ。
手術に持ち込む、体を回復させて人並みの生活を送る、とショートスパンの目標は自分の糧となり、周りから見ると遅いペースながらもクリアしてきた。
次は何を目標にして気力を持たせればいいのか。
外科的なアプローチ?、化学療法や先進医療で治癒を目指す?、答えはNO。
白雪姫にまとわりつく小人達の一員のように、絶対に手が届かない娘の成長を見守る事が気力になる?、答えはNO。
妻が死に絶えるまで側にいる事が気力になるのか、答えはNO、化け物のように年をとらない妻に敵うわけがない上に、できる事ならごめん被りたい案件だ。
仕事?、これもNOに近くなった。信用が欠落した自分が第一線に立てる事はなくなり、せいぜい後方射撃部隊の一員程度になってしまった。盛り返すけどね。
何もかも先を想像するだけで果てしなく遠くて、自分の体調をトレースすると何をするにも億劫になってしまう。
では、何を目標にして明日を望み生きていくのか。
私を渦巻く葛藤にどう向かえばいいのか。
妻と妻の親族、上司と仕事仲間も私が死ぬとはたぶん思っていないだろうが、私を取り巻く他の者達は私が間もなく死ぬ、と思い始めたようだ。
端から諦めろ、と言いのけた者もいれば、最近になって掌返しをして諦めろのポーズをとりはじめた者もいる。
その半面で、お前は死なないと笑ってくれる人もいれば、絶対に死なないで、と言ってくる者もいる。
声を大にして言いたい。
自分がやり残したと思う事があるからこそ、生きたい、と思い、自分と向き合う事がいけない事なのか、何故に私の命について第三者が意見をして、且つ押し付けがましくレールを敷こうとするのだ???????
私にとってはとても複雑な葛藤を抱えて悩み続け、答えを出す迄に10日程かかった。
もっとたくさんのものを見たい。もっとたくさんの事を経験したい。まだ娘から離れたくない。まだ死ねない。
今後、私の命に対して押し付けがましい意見をしてくる者には関わらない。
しつこくするなら豆腐を投げつける。
当たり前で単純過ぎる答えを出した自分を鼻で笑ってしまった。
同時に、このクソゲーが新しいステージに進む度に、殺さないで下さい、と歎願する死刑囚のように、惨めで空虚な何かと、少しずつ単純化していく自分に気付き始めた。
よくわからないけれど、まだ死というものは現実味はないが、そう遠くない内に私は死ぬ、と自分が発する何からのシグナルを捉え始めたのだろうか、とも思う。

内心を文字に起こして、ここまでの稚拙な文章を読み返したが、どうにも弱々しく感じる。

ただのポジショントークにしか過ぎず、全然面白くもない上、自分の参考にすらならない。
このブログを読む識者には崖っぷちに立たされているのに、まだ威勢を張るか、と思う者もいるだろう。
このような状況下でも精神不安定になる事は無く、相変わらずマイペースながらも淡々と目の前の課題をクリアしている。
体がどのような状態に陥ろうとも、抜山蓋世の如く常に強気でポジティブ・シンキングだ。
突然バッテリー切れになるボロ玩具のように不調を抱えているものの、体か心のどちらかが割り切ってくれているので、至って普通に生活をしている上に、マイペースながらも社畜真っ盛りの通常運転だ。
私を観察している人でない限りは、私がどのような状況かを想像もできないだろう。

四面楚歌の状況に叩きこまれたが、私は一秒でもこの世に居座る為に、体が壊れた・体力が回復しない、どんな御託も甘えと捉えて、高村光太郎の、僕の前に道はない、僕の後に道はできる、を地で行くのみだ。
様々な治療があるものの、下手な鉄砲を数打てど的の中心を射る事は難しいだろう。
今は力の限り弓を引き絞り、まだだ、まだだ、とその弓を放つ時を待つ。
前後左右に道が無いのであれば、上下のどちらかに進むか、チートを使いどこでもドア宜しくをするしかない。
同病者が歩んだ事がない、更に上の何かを目指す事にした。
格好いい事を言ってみたけれど、万が一死のうものなら妻と娘に悪態つかれるのが目に見えている上に、若さ故か心体が生きようとして死ぬに死ねないのだ。
痛い・辛いなんて言おうものなら怒られちゃうし(´・ω・`)
ただね、痛みは我慢出来ても苦しい思いはどうにもならない。
いつも手詰まりのギリギリでもう疲れちゃった。。。。。。。
何も考えないで落ち着いていられる環境が欲しいよパラトラッシュ。。。。。。。
と、言いたい所だが、まだまだ踏ん張るぜ('A`)y-~
大和男子の私ならできる。
駄目なら駄目で派手に逝くのみだ。

統括
力は山を抜き、気は世を蓋う。

時、利あらず、騅、逝かず。
騅の逝かざるを奈何にす可き。
虞や、虞や、若を奈何んせん。

orz

にほんブログ村 病気ブログ すい臓がんへチャレンジしたい事があるので、応援してくれる方はバナークリックをお願いします!




/Skrillex - Summit


>>blog readers
ご挨拶が遅くなりました。
相変わらずマイペースの私ですが、今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます('A`)y-~